駅から歩いて十五分。
懐かしい木造の家並みを抜けるたび、胸の奥で、過去の記憶がそっと揺れた。

軒先の植木鉢、電柱の張り紙、昼下がりの柔らかな影。
どれも昔と同じなのに、少しだけ小さく見える。

「ただいま──」

声に出すにはまだ早い気がして、彼女は心の中でだけつぶやいた。
長いコートのポケットの中で、冷えた指がぎゅっと重なる。

都会へ出た日、振り返ることが怖くて、急ぎ足でここを通りすぎた。
あの日の自分は、前だけを見ていれば大丈夫だと思っていた。

曲がり角の先に、小さな時計台。
その下を通る風の音が、ふと優しくなる。

玄関の前に立つと、木戸の匂いが懐かしくて、胸がきゅっと締めつけられた。
深呼吸をひとつ。
ノックをしようとして、彼女はそっと手を下ろす。

──扉は、少しだけ開いていた。

「おかえり」

中から聞こえた声は、昔と同じ温度だった。

その瞬間、張りつめていたものが静かにほどけていく。
もう一度、今度ははっきりと口にする。

「ただいま」

言葉が、やっと帰る場所を見つけた。