文化祭の校庭は、甘い香りで満ちていた。

クラスの模擬店「手作りドーナツ屋」は大盛況。制服姿の生徒たちが笑顔で並ぶ中、鵜飼美月お嬢様は扇子で口元を隠し、冷ややかに言い放った。

「まぁ……なんと油まみれの菓子でしょう。制服を汚すなどレディーの嗜みとして失格ですわ。それに見た目も……まるで車のタイヤ。庶民的すぎて、口にするには粗野でございますわね」

　その高飛車な言葉に、売り子役のクラスメイトが笑って差し出す。
「でも揚げたてだよ、美月さん。ふわふわで美味しいよ？」

　鼻で笑い、断ろうとした美月。しかし漂う香ばしい匂いが彼女の心を揺らす。ほんの一瞬、表情が緩んだ。

「……仕方ありませんわね。お付き合いとして、一口だけいただきますわ」

　かじった瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれる。
「ふ、ふわふわ……!? 口の中で雲がほどけていく……っ！」
　揚げ油の熱が外から抱きしめ、粉砂糖の甘い雪が舌の上で舞い降りた。
「これは……罪深い輪廻の輪……！ 冬と夏が禁じられた恋をしているかのよう……！」

　その瞬間、美月の脳内では大混乱が巻き起こっていた。

――【理性軍】「撤退せよ！ 油で350キロカロリー！ 粉砂糖が付着しているぞ！」
――【食欲軍】「突撃！ あの黄金の輪こそ芸術！ 舌の上の楽園はすぐそこだ！」

　必死に抵抗する理性軍。しかし、クラスメイトが笑いながら言った一言で形勢は逆転する。

「ドーナツって“０”の形だからね。真ん中が空洞だから、カロリーもゼロなんだよ」と冗談を言った

　美月は一瞬の沈黙の後、扇子を下ろした。

「……ゼロ、ですの？」

　次の瞬間、理性軍は壊滅。皿の上のドーナツは忽然と姿を消し、彼女の指には粉砂糖が雪のように積もっていた。膝の上には小さな痕跡。

「わ、わたくしは……もうこれ位で十分でございますわ」と澄まし顔で取り繕うが、状況は雄弁に事実を語っていた。

　美月は扇子を閉じ、小さく頬を染めて呟く。

「この甘き輪……友情の証として認めてあげますわ」

　文化祭の喧騒の中、ツンとすましたお嬢様の横顔には、ほんのり砂糖の白い跡が残っていた。